完全無欠ではない画像だからこそ高解像度が存在しない。自分がその存在に耐えられない。
12の年を迎えてから、思考がどうもシフトした感がある。未来、そう遠くは無い所。それは越してから尚の事、強く思っている事で、見る夢にも顕著に現れている。空想科学の都市、デバイス、システム。サイエンス・フィクションと言いたい所だけれどもノンフィクションになったのではないかなと思わせる位の近未来感。既存のディスプレイを指でフリックして操作しているのは未来ではない。直感操作とは言われているが、とてもじゃない、まだ遠い。積み上げた技術とバラまき易さの均衡点でしかない。そういった、実現不可から可能に移りつつある位の空想科学の未来がなぜだか普通のくだらない日常モノの夢の中でも要素の一つとして出てくる。意識がそうさせているのか、何か違う第六感が囁いているのか、はたまたあらかじめの予定通り上映された運命のレール上の演出なのか。
…運命論を言い出すと全ての事象がこれに帰結してしまってキリがないのだけれども。